『式典の開始まで、約十五分。警備各員は配置を再確認してください』
耳元の通信機に届いた事務的な指示には了解の旨を返し、ブロンドの少女はぐるりと周囲を見回す。式典の会場となるフロアよりも下層に位置するここにはサーバー機器だの電源管理システムだのが詰められており、機械の発する高低様々な音と技術者たちの問答が飛び交っていた。退屈そうにミニドレスの裾から伸びる細い脚をうろうろと彷徨わせていた彼女が手近なディスプレイを覗き込んでみると、そこでは真っ黒な画面に白い英数字が無機質に並んでいるだけ。
「……何です、あの外人の子供?」
「馬鹿、お前知らないのかよ」
どこかから漏れ聞こえた会話には内心苦笑する。幼く見えていることは自覚しているし、目立ちたくはないのだがそうも言っていられない立場ではないことも理解しているので、腹を立てるわけではないのだが。
「やあ、ルエリシア。こんな所まで来てもらって悪いね」
そうは言っても少し悶々としていて、しかしそれは不意に掛けられた声で霧散する。少女――ルエリシアはくるりと振り向いた。声の主は予想した通りに作業着に白衣を羽織った男で、彼女は少し姿勢を正してぺこりと会釈する。
「キリノさん。いえ、おつかれさまです。……式典はいいんですか?」
式典を含むこの現場を統括しているのが彼、キリノである。問われた彼は気まずそうに眼鏡の奥の視線を少しだけ外し、伸びっぱなしの髪をゆるく掻いた。
「あー……はは。ちょっと緊張しちゃってね。もう戻るところだよ」
「ああーっ、キリノ! こんなところにいたの!?」
キリノの言葉尻に重なるように、怒りと呆れの入り混じったような叫びが響く。
部屋に顔を出したセーラー服姿の少女はつかつかと彼に詰め寄った。
「もうっ、上でリンが探してたわよ。もうすぐ始まるんだからさっさと行きなさい!……んでルエリシア、上層のチェック完了。異常ナシよ」
まくし立てるように報告する彼女に、キリノはゆるく苦笑する。
「はは……ごめんごめん。ありがとう、サクラ」
「っ、もう、お礼なんていいから!」
ふいとそっぽを向く彼女――サクラの視線の先、彼女が入ってきた入り口とは反対側に、今度は詰襟の少年が顔を出した。
「ルエリシア、下層確認完了。問題ない」
淡々と要件だけを告げた彼に、キリノが朗らかな視線を向ける。
「やあ、ジムノもありがとう。久しぶりの任務だけど、よろしく頼むよ」
一方、少年――ジムノは無表情のままで僅かに頷いた。
「はい、総長」
「うっ……その呼び方、未だに慣れないなあ……」
「はあ? いつまで言ってんのよ、もう一年経つのよ」
ルエリシアは半眼のサクラを「まあまあ」と宥め、
「ジムノくんもサクラちゃんも確認ありがとね。……うん、ちょうど十分前。じゃあ、キリノさん」
と、改めてキリノへと向き直る。
「機動13班、これよりスカイタワー警備任務を開始します!」
世界は滅びた。
2020年の初夏、突如世界中が不気味な赤い花に覆われ、大小様々な化け物が闊歩するようになり、人類はそのほとんどが死滅した。――否、死滅したと推察されている。少なくともほんの数日のうちにあらゆるインフラが破壊され、誰もが自身の手の届く範囲の外のことは全くの未知という状況に置かれてしまったのだから。
ドラゴン。
化け物たちのうち、地球上の生命体ではあり得ない構造を持つ一部のものは、そう呼ばれた。
ドラゴンに抵抗できた勢力は日本政府とアメリカ政府のわずか二つ。つまり最終的に国家として残っていることが相互に確認できているのはその二国だけであり、それぞれ東京とロサンゼルスで小規模なコミュニティをなんとか維持しているという状況だった。
そしてそれは、ドラゴンを統率していた真竜と名乗った存在を撃退して一年近くが経過した今も変わっていない。
フロワロと呼ばれた赤い花は消えた。ドラゴンも消えた。だがドラゴン以外の化け物――マモノ、と呼ばれている――はもはや野生動物のように定着してしまったし、もはや数少ない人類が以前のような世界へと復興させるのには無理があるだろう。少なくとも東京には、ほとんど全員が国会議事堂で生活できている程度の人数しかいない。もはや人類は絶滅危惧種といって差し支えないだろう。
「……それならこんなことしてる場合じゃない気がするけどなあ」
窓の外をぼんやりと見つめるサクラはそうぼやく。――やる気の感じられる態度ではないが、さぼっているわけではない。警備任務はマモノの出現を警戒したものであり、タワーの上層や下層では陸上自衛隊が警備しているので、自分達が最も警戒すべきは飛行型のマモノが窓の外から突っ込んでくることなのだ。
「えっ?」
ぼやきの意図が汲みきれず、ルエリシアは思わず聞き返した。フリルまみれのミニドレスには似合わない無骨なベルトで肩から提げた拡声器が重くなってきていて、ベルトを少しずらす。
「貴重な技術者を動員して電波だの電子ネットワークだのを整備するより先にやることあるんじゃないのってハナシ。こちとら今日明日の水や電気すらなんとかやりくりしてるってのにさ。しかも議事堂に中継してまでこんな式典やるなんて、政治家サマのアピールとしか思えないわよ」
取り戻した平和は、しかし果てのない避難生活と復興作業の始まりだった。議事堂を高い壁で囲み、この狭い世界のための生活インフラを整えることに苦心し、水や食糧の確保に奔走し、その合間に少しずつ苦し紛れのような生存者捜索に手を伸ばす。生活に慣れてきた一般市民からは様々な要求が積み重ねられ、これまた数少ない政治家の生き残りたちも疲弊しているようだった。――しかし彼らの中には市民からの人気取りや派閥争いに腐心する者がいることをルエリシアも知ってはいるので、何も言えない。
「……良く言えば、一般市民をまとめるために必要なパフォーマンスということだろう」
同じく窓の外を監視しつつ代わりにぽつりと答えたジムノに、ルエリシアは「そっかあ」と頷いた。
「それは、そうなのかも。今も家族の生死すらわからない人ばっかりなんだし……ほんの少しでも、希望にはなるよね」
「だがどちらにしろ、僕たちが考えるべきことじゃない」
冷たく響く口調に、サクラは口を尖らせる。
「他人事みたいに言うわねえ」
そんな彼女を一瞥してから窓の外へと視線を戻し、ジムノは溜息混じりに補足を述べる。
「……僕たち”ムラクモ”はあくまで政府の一組織だ。自衛隊にしろ僕たちにしろ、軍事力を持つ組織が政治に介入するのは禁じ手だ。あの首相も事あるごとにキリノ総長を頼っているように見えるが、良い傾向とは思えないな」
「介入したいワケじゃないけどさあ……」
もごもごと言葉尻を濁すサクラ。それに重なるように、耳元の通信機がぷつりと小さな音を立てた。
『式典の開始、五分前です。各員、引き続き警戒を続けてください』
その音声がほんの少し乱れていることに気付き、ルエリシアは小さく首を傾げた。サクラも気になったようで、
「りょーかい。……っつーか、なんか雑音入ってるけど大丈夫? ネットワークの復旧式典で通信が不調なんて笑えないわよ」
と通信機に向かって答える。
『いえ、この通信はいつも通りムラクモの専用回線ですし、今回の帯域とも全く干渉しないはずですが……』
通信機越しの幼い声音もやや困惑しているようだったが、
『……うーん、ただの機材不調でしょうか。音声、映像、各種センサーの計測データ、いずれも任務には支障のないレベルで保たれていますのでこのまま続行します』
と結論付けた。
「まあいいけど……、っ、うん!?」
「サクラちゃん?」
ひっくり返った声を上げて勢いよく窓に貼り付きなんとか上を見上げようとし始めたサクラへと、ルエリシアは怪訝な顔を向ける。
「今……なんだろ、でっかいマモノがいたかも。上に飛んでったように見えたんだけど……ねえミイナ、何か分かる?」
通信機に向かって呼び掛けるが、今度は応答がない。
「あれ? ミイナ、聞いてる?」
ルエリシアはぞわりと全身の毛が逆立つような感覚を覚え、ぎゅっと胸のあたりを掴んだ。
「……これは」
ジムノも何か気になったことがあるのか、腰に提げた刀に触れつつ周囲を訝しげに見回している。
フロアで働く技術者たちには特に違和感が感じられないのか、三人の様子に気付く様子もなく作業を進めていたり、あるいは三人に怪訝な視線を向けていたりといった様子だった。
ルエリシアの目にも、異変らしい異変は映らない。だが。
「……ただのマモノなら、リンさんたちが対処してくれると……思うけど……」
彼女はなるべく冷静にそう言ってみるが、まるで寝言のように説得力の感じられないそれに、正体のわからない焦燥感のような不安感のようなそれは却って胃を押し上げんばかりに膨れ上がってゆく。
「……どうする?」
ふと目が合ったジムノに問われ、しかし咄嗟に答えられない。――いや、どうもこうもないはずだ。まだ、”マモノが見えたかもしれない”、”通信が不調らしい”というだけなのだから、このフロアを警備するという任務を続行する以外の選択肢などないはずなのだ。重要な機材を多数設置しているここが最重要で、だからこそ竜災害の”英雄”である自分たちがここに配置されているのだ。次に重要な式典会場の上層は自衛隊の主力部隊が守っているし、下層も各階に必ず自衛隊員の警備が付いている。
だが。
「……。ジムノくんは上に。このことをリンさんに伝えて……マモノが現れたら自衛隊のみんなを助けて」
毅然とした態度でそう言い切ったルエリシアに、彼は異論を挟まず頷く。
「了解した。……気を付けて」
躊躇わずに上層へと向かうジムノの背を見送り、サクラはやや強張っていた表情を意識して少し緩めた。
「良かったの? アイツ一人で行かせて」
「……ここは離れられないから。上や下で異変があれば自衛隊が対応してくれる。窓の外からマモノが向かって来たらジムノくんよりもサクラちゃんの方が有利、だから……」
ルエリシアが自分の考えをひとつひとつ確かめるような口調でそう答えると、サクラはベルトに提げた銃をちらりと見下ろした。
「そう……そうよね。もうドラゴンなんていないんだから、ちょっとした異変でいちいちビビってちゃキリがな――」
顔を上げたサクラとルエリシアの視線が合い――
「……え?」
――その視線の間を横切るように、一枚の花弁がふわりと舞った。
赤い花弁が。
思わず言葉を失う二人が目で追ったそれは、間違いなく、一年前には世界中を覆ったフロワロの形をしていて、
「ひいっ……!?」
その花弁が床に触れたのとほぼ同時に、技術者の一人がひきつった悲鳴を上げた。
「な、なんでこの花がっ……!」
「うわあああっ!?」
ルエリシアとサクラが我に返って周囲を確認すると、壁に、機械に、窓ガラスに、フロワロがまるで早送りの映像のようにいくつも花開き始めていた。
多くの人々にとって恐怖の象徴のひとつであろうその花がパニックを引き起こすのは必然だった。ルエリシアは慌てて拡声器を手に叫ぶ。
「みなさん! すみやかに下の階へ! 自衛隊の指示に従い外へ避難してくださいっ!」
幾分か落ち着きを取り戻した技術者たちがその指示に従い階下へと降りていくのを確認してから、ルエリシアは上へと続く階段を見据えた。
「行こう、サクラちゃん!」